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鎮座地|兵庫県安富町安志(字宮ノ谷) 407番地 例 祭|5月15日 葵祭 10月26日 前の土・日 秋季例大祭 |
創立年代不詳、寿永三年(1184年)源頼朝が京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)に神領を寄進したという記録があり、この中に播磨国安志庄のことが記載されています。これによると、当社は賀茂別雷神社の分霊を奉祀し、安志庄の庄園鎮守として崇敬されていたという由緒ある神社です。後に小笠原家が安志藩主に改封されて以降、年々藩主から幣帛が奉納され、篤い崇敬を受けてきました。 元 郷社(明治七年、加列) |
「神社明細帳」によると、明治41年(1908年)11月26日、宮ノ谷から移転合併、(元)笠守稲荷社と称し、安志藩陣屋に祀られ、小笠原家に厚く信仰されていました。 | ||
戦前、当社の相撲場の東の山に稲荷社としてお祀りされていましたが、戦後 現在地へ移し、安志稲荷神社として著名になり、初詣で賑わいをみせています。 昭和50年 拝殿新築 奥宮が祀られています。 当社の参道は、旧安志街道(教蓮寺西横)より北上しており、入り口に石燈籠一対、大社教管長 千家尊有敬書による標柱「加茂神社」(昭和6年建立)があり、途中 中国自動車道路に架かる稲荷橋、稲荷大提灯、稲荷大鳥居をくぐり、馬かけ神事が行われていた常緑高木に覆われた古式豊かな長い参道があります。 |
平成30年10月吉日 遍宮 |
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【神明社】(向かって中央) 【小笠原神社】(向かって右側) 【金刀比羅神社】(向かって左側) |
昭和44年、新池(農業用水・防災用水の溜め池)改修時に末社として創立。弁天橋をぬけると奥宮が祀られています。 |
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